「ターヘル・アナトミア」等の西洋医学書を日本語訳・編集した「解体新書」の著者として知られる江戸時代の蘭学医・杉田玄白先生のお墓が、東京都港区・愛宕山西側の「栄閑院」(猿寺)にあります。
「猿寺」と呼ばれる栄閑院
栄閑院(えいかんいん)は、東京都港区虎ノ門・愛宕山西側にある浄土宗のお寺。
この栄閑院には下のようなエピソードが。
江戸時代初期・3代将軍徳川家光の頃、「猿回し」に変装した泥棒が栄閑院に逃げ込んだ。栄閑院のご住職がこの泥棒を説得。足を洗うことを決心した泥棒は、修行のため行脚に出た。残された猿は、お寺の人気者に!
このことから栄閑院は「猿寺」とも呼ばれ、境内には猿塚と猿像2体が。また、ご本堂の柱の上部に猿の彫刻もあります。
杉田玄白先生のお墓
かなりの長生きだった杉田玄白(享年83)
杉田玄白は、江戸時代中期の1733年に小浜藩(現在の福井県若狭地方)の藩医だった杉田甫仙(玄甫)の三男として誕生。自身も後に小浜藩医となりました。鯖街道の起点として有名な福井県小浜市内には「杉田玄白記念公立小浜病院」があり、この病院には杉田玄白の銅像があります。
1757年には小浜藩に籍を置いたまま東京・日本橋で町医者を開業。1774年には「ターヘル・アナトミア」等の西洋医学書を日本語訳・編集した あの有名な「解体新書」を出版します。
杉田玄白は享年83。当時としてはかなりの長生きだった彼は、70歳の頃に「養生七不可」という「健康の秘訣」的なものを提唱しています。
杉田玄白 【養生七不可】 (当ブログ筆者が意訳)
1.昨日のことでくよくよ悩むな。
2.明日のことをいろいろ心配するな。
3.食べ過ぎたり飲みすぎたりするな。
4.変わったものは食べるな。
5.どうもないのに薬を飲むな。
6.元気だからって無理をするな。
7.楽ばっかりせずに 運動しろ。
現代人にも そのまんま通じる教えやん。
杉田玄白先生ほんまに長生きしてはるから 説得力あるわ。
でもさ、なかなか難しいんだよね、これが。
焼肉のあとのスイーツは別腹だし、
階段しんどいから エスカレーター乗っちゃうし…
ちなみに、広島カープの長谷部銀次投手(2022年ドラフト6位)は 杉田玄白先生の子孫(雲孫)だそうです。
杉田玄白先生のお墓は ご本堂の右側
境内には、杉田玄白先生のお墓への丁寧な案内があります。
下写真の通り「玄白先生の墓は 本堂の右側です」。
ご本堂の前と柱の上にいるお猿さんも お見逃しなく。
ご本堂に向かって右手の小門をくぐって、墓所へと入ります。
杉田玄白先生のお墓へのお参りの人は 自由に入ってよいとのことです。(現地案内より)
こちらが、杉田玄白先生のお墓です。(東京都の史跡に指定されています)
墓石には「九幸杉田先生之墓」の文字が。「九幸」は杉田玄白の「号」(雅号)で、「幸」と「杉」の字は隷書体で刻まれています。戒名は「九幸院仁誉義真玄白居士」だそうです。
杉田玄白墓所・栄閑院へのアクセス(最寄り駅:虎ノ門ヒルズ)
杉田玄白先生のお墓のある浄土宗「栄閑院」(猿寺)の最寄り駅は、東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ」駅。
虎ノ門ヒルズ駅・出口A1aから南へ徒歩約300mのところ、国道1号(桜田通り)の一本東側の通り沿い、愛宕神社のある愛宕山(標高25.7m)のすぐ西側にあります。
国道1号(桜田通り)から、「虎ノ門3丁目横断歩道」のすぐ南側の路地を東へ入ると分かりやすいと思います。
なお、日比谷線の「神谷町」駅・出口3からも徒歩約350mです。
以上、浄土宗「栄閑院」(猿寺)にある杉田玄白先生のお墓のお話でした!
最後までご覧いただき ありがとうございます