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神戸・明石周辺

赤穂浪士を祀る神社【赤穂大石神社】(義士史料館)

神戸・明石周辺

江戸時代中期、吉良上野介を切り付け切腹させられた赤穂藩主浅野長矩(浅野内匠頭)の家臣たちによる「仇討ち」事件「赤穂事件」(元禄赤穂事件)。「忠臣蔵」でもよく知られるこの事件で 吉良邸に侵入して吉良上野介を討ちとった大石良雄(大石内蔵助)ら「赤穂浪士」(赤穂義士)四十七人を祀る神社が、江戸時代に赤穂藩の藩庁が置かれた「赤穂城」(兵庫県赤穂市上仮屋)の中にあります。

赤穂浪士47人の石像が並ぶ 赤穂大石神社の参道

こちらが、赤穂浪士ゆかりの「赤穂大石神社」。赤穂城三の丸にあります。
神社正面の参道の左右には、赤穂浪士四十七士の討ち入り姿の石像が ずらりと並んでいます。

大石内蔵助良雄率いる「表門隊」(23人)と大石主税良金(大石内蔵助の長男)率いる「裏門隊」(24人)に分かれて 吉良上野介邸に侵入した、赤穂浪士四十七士。
参道右側(神社に向かって)に、赤穂浪士「表門隊」の23体が並んでいます。

そして参道の左側には、大石主税良金(大石内蔵助の長男)が率いた赤穂浪士「裏門隊」の24体が。
「裏門隊」は木槌で裏門を破壊して吉良上野介邸に侵入したとのこと。中央の赤穂浪士(前原伊助宗房)が持ってるのはそのための大きな木槌でしょうか。
なお、木槌(?)を持ってる前原伊助宗房は 江戸で金奉行(幕府の経理)として勤めた経験があって江戸の事情に詳しく、吉良邸に関する事前探索に大いに貢献したそうです。

こちらが、赤穂大石神社の神門。
この赤穂大石神社の神門は「義芳門」と呼ばれ、1942(昭和17)年に神戸の湊川神社から移築されたものです。
ずらりと並ぶ赤穂浪士「裏門隊」石像24体の最も神門(義芳門)寄りには、裏門隊の大将・大石主税良金の石像が。(写真左下)
そして、その向かい側「表門隊」石像23体の神門(義芳門)寄りには、大石主税良金のお父さん、表門隊の大将で赤穂浪士四十七士の指導者・大石内蔵助良雄の石像があります。(写真右下)
裏門隊の大将大石主税良金(赤穂浪士最年少)は、討ち入りの時なんと まだ16歳だったそうな…。

神門の東側(駐車場の北側)には、「忠魂」「義膽」と書かれた2本の石柱が。
この柱の碑文「忠魂義膽」(忠義と正義を尊重する)は、東郷平八郎(1848-1934)の揮毫によるものなんですって。

仇討ち大願を果たした赤穂浪士を祀る「大願成就」の神社

赤穂大石神社は、吉良上野介を討ちとった大石内蔵助ら「赤穂浪士」(赤穂義士)四十七人を祀る神社。
大石内蔵助良雄率いる四十七義士命と萱野三平命を主神とし、赤穂藩主だった浅野長直・浅野長友・浅野長矩の浅野家三代と、後に赤穂藩主となった森家の七代の武将(森蘭丸ら)が合祀されています。
赤穂大石神社は、主君の仇討ちという大願を果たした赤穂浪士をお祀りしていることから、現在では「大願成就」の神社として知られています。

さて、神門「義芳門」をくぐって境内におじゃまします。
神門をくぐってすぐ右手にお手洗いと茶店「元禄茶屋」(お土産販売も)があります。
位置的には写真右手に大石内蔵助邸の庭園があるのですが、大石邸庭園は入場料が必要な「有料ゾーン」に含まれており、ここから直接入ることはできません。拝殿(写真中央奥)左手の授与所で拝観券を買う必要があります。

お手水舎。

祈願絵馬。リラックマの絵馬もあるんですね。

「大願成就」「開運厄除」大石神社参拝記念フォトスポット。
中央には、忠臣蔵の登場人物「大星由良之助」(赤穂浪士の指導者大石内蔵助良雄がモデル)。
たぶん、赤穂市立歴史博物館所蔵の「忠臣義士銘々伝」(絵師:歌川芳虎)を元にした絵柄だと思います。

大石神社参拝記念フォトスポットの横には、大石内蔵助良雄の銅像が。
この銅像は1971(昭和46) 12月14日(12月14日は赤穂浪士討ち入りの日)に建立。大石内蔵助良雄から数えて十代目の裔孫である大石貞純氏らが除幕をされたそうです。

こちらが、赤穂大石神社の拝殿です。

拝殿の西側には、絵とその下に掲示の文で構成された「忠臣蔵ものがたり」(奉献:播州信用金庫)が。

「忠臣蔵ものがたり」の下には招き猫が並んでます。

赤穂浪士の神社ならではの展示「義士史料館」(4施設)

赤穂大石神社の境内には「義士史料館」があります。
この義士史料館は「義士宝物殿」「義士宝物殿別館」「義士木像奉安殿」「大石邸長屋門・庭園」の4施設で構成されており、4か所共通の拝観券(大人500円/人)で入場することができます。(共通券のみの販売で、施設ごとの入館券販売はありません。)

はまぐりくん
はまぐりくん

拝観券購入時にJAF会員証を提示すると、200円引きの300円になるよ。

義士宝物殿・義士宝物殿別館

赤穂大石神社の義士宝物殿の建物は、もともとは神戸の湊川神社の宝物殿として大正時代に建てられたもので、1976(昭和51)年に湊川神社から移築されたそうです。
館内には大石内蔵助が所持していた備前長船の刀や 討ち入りに使用した采配、赤穂浪士の一人で赤穂藩の絵図役だった潮田又之丞高教が描いた吉良邸の図面など、赤穂浪士を祀る神社ならではの貴重な史料が展示されています。

義士宝物殿の隣にある義士宝物殿別館では、浅野家が参勤交代で使用した矢筒・酒樽等々、浅野家や大石家の宝物などを展示しています。

義士宝物殿別館前には、赤穂浪士の顔出しパネルが。
大石内蔵助良雄・矢頭右衛門七教兼・大高源五忠雄・神崎与五郎則休の4人です。

義士木像奉安殿 (赤穂浪士・浅野内匠頭・萱野重実 展示)

1953(昭和28)年に行われた「義士自刃満250年大祭」を記念して木彫家49人が ひとり一体ずつ彫って奉納された、赤穂浪士四十七士・浅野内匠頭・萱野重実(萱野三平)の像、合わせて49体が展示されています。
萱野重実(萱野三平)は、討ち入り前に主君への忠義と親孝行の板挟みで自刃した赤穂藩士ですね。

大石邸長屋門・庭園 (赤穂浪士指導者大石内蔵助邸遺構)

義士木像奉安殿の内廊下から、大石邸長屋門・庭園へ行くことができます。
大石内蔵助とその父・祖父の大石家三代が57年間住んだ大石邸の遺構です。この大石邸は畳数にして308畳もある広大な邸宅だったそうですが、その大半が1729(享保14)年の火災で焼失。この火事による焼失を免れた長屋門と庭園だけが残っています。

上写真奥に見える建物が、大石邸長屋門(国指定史跡)。
この門は、赤穂大石神社の敷地外(神社東側)の道からもよく見ることができます。(下写真)

1701(元禄14)年3月、浅野内匠頭の刃傷事件を伝えるため 江戸から早駕籠で到着した早水藤左衛門満尭と萱野三平がたたいたのも、この門とのことです。
なお、この時 彼らは江戸から赤穂まで4日半程度で到着したとのこと。
Googleマップの「徒歩経路」(江戸城大手門~大石邸長屋門)では621km(国道1号経由)と表示されます。
621kmを4日半(108時間)で走ったとすると、平均時速は5.75km。これは当時としてはすごい速さだったようです。
ちなみに現代では、東京駅から新幹線で姫路駅へ向かい、姫路駅でJR在来線に乗り換えて播州赤穂駅へ。このルートで約4時間で到着します。

赤穂大石神社 アクセスと駐車場

赤穂浪士を祀る赤穂大石神社は、赤穂城の三の丸(本丸跡の北側)にあります。

赤穂大石神社 電車でのアクセス

JR赤穂線「播州赤穂駅」から南へ約1.2km

赤穂大石神社 車でのアクセス(参拝用駐車場あり)

山陽自動車道「赤穂IC」から 約3.5km。
赤穂大石神社には、境内の南側にご覧の参拝者用駐車場があります。
この駐車場へは、赤穂城塩屋門跡から進入します。


以上、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助率いる赤穂浪士(赤穂義士)四十七人を祀る神社、赤穂城三の丸・赤穂大石神社のお話でした。

最後までご覧いただき ありがとうございます。

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