東京都港区高輪にある曹洞宗のお寺、「忠臣蔵の聖地」泉岳寺。
1701(元禄14)年に江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こして切腹させられた赤穂藩主浅野内匠頭(浅野長矩)とその夫人・瑤泉院、そして仇討ちの後に切腹した 大石内蔵助を指導者とする赤穂義士(赤穂浪士)四十七士のお墓があるお寺です。
この記事では、「忠臣蔵の聖地」泉岳寺の境内・赤穂義士記念館・赤穂義士墓所の様子などを詳しくお伝えします。
なお、赤穂義士が討ち入りした吉良上野介邸跡・赤穂義士を祀る赤穂大石神社の記事も合わせてご覧頂けましたら幸いです。
「忠臣蔵の聖地」とされる泉岳寺
江戸の大火により 霞ケ関から高輪に移転
東京都港区高輪・泉岳寺駅(都営地下鉄・京急)近くにある、曹洞宗のお寺「萬松山 泉岳寺」。
元々は1612(慶長17)年に徳川家康が外桜田(現在の霞ケ関あたり)に創建したお寺ですが、1641(寛永18)年の大火(寛永の「桶町大火」?)によって焼失。三代将軍徳川家光の命により現在の場所(高輪)に移転・再建されたそうです。
この泉岳寺には、1701(元禄14)年に江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こして切腹させられた赤穂藩主・浅野内匠頭(浅野長矩)とその夫人、そして藩主の仇を討った(吉良邸討ち入り)後に切腹した赤穂浪士四十七士のお墓があり、「忠臣蔵の聖地」とされています。
山門前の大石内蔵助良雄銅像
泉岳寺の山門の横には、大石内蔵助良雄銅像が。1921(大正10)年に除幕されたそうです。
大石内蔵助良雄(1659-1703)は、赤穂義士四十七士の指導者として知られる 赤穂藩の筆頭家老。1703(元禄15)年12月15日の吉良邸討ち入りの後切腹し、主君である浅野内匠頭と同じく この泉岳寺に埋葬されました。
ご本堂と「獅子吼」
こちらが、泉岳寺ご本堂。
泉岳寺の旧本堂は、1945(昭和20)年の東京大空襲によって焼失。現在の本堂は1953(昭和28)年12月14日に落成したものです。
本堂の正面には「獅子吼」(ししく=獅子がほえる)の額がかかっています。
「獅子吼」は「獅子がほえるように 悪にも負けず力強く 仏様が説法をされる様」を表す言葉だそうです。
泉岳寺境内の「赤穂義士」関連施設
主税梅・瑤池梅・血染めの梅・血染めの石
こちらは、主税梅(ちからうめ)。
四十七士のひとり 大石主税良金(赤穂義士の指導者大石内蔵助の長男)が切腹した松平定信邸にあり、大石主税良金の血が飛び散ったとされる梅の木です。
また 近くには、赤穂義士の墓を守る「妙海尼」が赤穂藩主浅野内匠頭の正室「瑤泉院」(ようぜんいん)から賜った鉢植えを移植したとされる「瑤池梅」や、浅野内匠頭が切腹した田村建顕邸にあり血が飛び散ったとされる「血染めの梅」「血染めの石」もあります。
義士への鎮魂・水琴窟
こちらは「義士への鎮魂」水琴窟。
兵庫県赤穂市にある水琴窟を得意とする造園会社「長棟造園」さん寄贈です。
「主君に忠誠を尽くして散った四十七士の崇高な精神に 心から敬慕の念をこめて、水琴の音を捧げたい。」(現地パネルより)と書かれています。
首洗い井戸
赤穂義士は吉良邸に討ち入り後、吉良上野介の首を持って主君浅野内匠頭の墓のある泉岳寺へ移動。主君の墓前に供える前に吉良上野介の首を洗ったのが、この井戸だそうです。
赤穂義士記念館・義士木像館 (拝観料500円)
境内には、「赤穂義士記念館」「義士木像館」の2館があります。
拝観料は、2館共通で大人500円です(各館毎の販売はありません)。館内には、赤穂義士関係の貴重な遺品・資料や木像があります。
赤穂義士記念館・義士木像館 | |
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住所 | 東京都港区高輪2丁目11-1 泉岳寺境内 |
開館時間 | 9時00分~15時30分 |
拝観料 (一部区分のみ表示) | 大人500円 中高生400円 小人(10歳以上)250円 |
公式情報URL | https://sengakuji.or.jp/ |
*大石神社(兵庫県赤穂市)にある「義士史料館」「義士木像奉安殿」等とは異なります。混同にご注意ください。
忠臣蔵の聖地・泉岳寺には 赤穂義士の墓所が
上でも書きましたとおり、泉岳寺は、1701(元禄14)年に江戸城・松の廊下の刃傷事件で切腹させられた赤穂藩主浅野内匠頭(浅野長矩)、そして仇討ちの後に切腹した 大石内蔵助を指導者とする「赤穂義士」四十七士のお墓があるお寺です。このため、泉岳寺は「忠臣蔵の聖地」とされています。
また、浅野内匠頭の正室である瑤泉院(阿久里)の墓や、討ち入り前に主君への忠義と親孝行の板挟みで自刃した赤穂藩士・萱野重実(萱野三平)の墓もこちらにあります。
「浅野長矩墓および赤穂義士墓」は、国の史跡に指定されています。
こちらが、赤穂義士墓所の門。
この門は、浅野内匠頭邸(現在の聖路加国際大学あたりにあった)の裏門を明治時代に移築したものだそうです。
上の門をくぐると墓所です。
門をくぐったところで お線香料(300円)を支払ってお線香(下写真)を受け取り、墓所に入ります。
墓所に入ってすぐ右手には、浅野内匠頭の正室・瑤泉院(阿久里)のお墓が。
そしてこちらが、浅野内匠頭(浅野長矩)のお墓です。
この「浅野長矩之墓」「長矩夫人之墓」は、文化財保存工事のノウハウを持つ「株式会社 鴻池組」が2019~2020年に修復工事を行ったそうです。
そしてこちらが、赤穂義士のお墓。(右奥に浅野内匠頭のお墓も見えてます。)
写真左に見える屋根の付いたお墓が、赤穂浪士の指導者・大石内蔵助良雄(法名:忠誠院刃空浄剣居士)のお墓。
写真左端には、「吉田忠左衛門兼亮(刃仲光剣信士)」、中央から右へ「潮田又之丞高教(刃胸空剣信士)」「早水藤左衛門満尭(刃破了剣信士)」「赤埴源蔵重賢(刃廣忠剣信士)」「奥田孫太夫重盛(刃察周剣信士)」のお墓が見えます。
このように、四十七士全員の戒名に「刃」「剣」の文字が入っています。
こちらは、大石内蔵助良雄の長男で吉良邸突入時に「裏門隊」の大将を務めた大石主税良金のお墓。大石主税良金は、わずか16歳で父とともに討ち入り・切腹しました。
これら赤穂義士四十七士の墓は全て当時建立されたものですが、「寺坂吉右衛門信行」のお墓だけは赤穂事件当時ではなく1868(慶応4)年に「供養墓」として建てられたもの。これは、「寺坂吉右衛門信行」は吉良邸討ち入り後の泉岳寺までの移動中に姿を消しており(理由等の真相は不明)、四十七士で唯一切腹せず生き残ったためです。(83歳で病死して南麻布の曹渓寺に埋葬)
また、四十七士以外に、討ち入り前に主君への忠義と親孝行の板挟みで自刃した赤穂藩士・萱野重実(萱野三平)の供養墓もこちらにあります。
「忠臣蔵の聖地」泉岳寺へのアクセス (最寄り駅:泉岳寺)
「忠臣蔵の聖地」泉岳寺の最寄り駅は、泉岳寺駅(都営浅草線・京急)。
泉岳寺駅A2出口から泉岳寺中門まで約150mです。
また、JR高輪ゲートウェイ駅(京浜東北線・山手線)からも約450mです。
東海道新幹線でお越しの方は、「品川」駅で新幹線を下りて お乗り換え。品川駅からは、京浜急行線(京急)の隣駅が「泉岳寺」駅、JR山手線・京浜東北線の隣駅が「高輪ゲートウェイ」駅です。
また、羽田空港からは京浜急行線で最速17分(便により異なる)で泉岳寺駅に着きます。
遠方からのアクセスも、とても便利ですね。
以上、赤穂義士の墓所がある「忠臣蔵の聖地」萬松山 泉岳寺のお話でした。
最後までご覧いただき ありがとうございます。
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