PR
旅行・観光【東京】

八重洲=ヤン・ヨーステン!?地名の由来はオランダ人!東京駅周辺の記念像などを巡る

旅行・観光【東京】

東京都中央区八重洲(やえす)。このなんとも和風な地名の由来は、なんと関ケ原の戦いの年に日本にやってきたオランダ人!?
八重洲の地名の由来になったと言われる人物「ヤン・ヨーステン」と、東京駅周辺にある関連スポットをご紹介します。

スポンサーリンク

八重洲=ヤン・ヨーステン!? 地名の由来はなんとオランダ人

旅行客にもおなじみの「八重洲」

東京都中央区「八重洲」(やえす)。

東京都中央区の地名としてはもちろん、「八重洲側」「八重洲口」など「東京駅の出口の名前」として旅行客の方々にも馴染みのある言葉ですね。

「八重洲」地名の由来はなんとオランダ人の名前!

「八重洲」と聞くと、いかにも日本らしい地名に感じますが、実は由来は「オランダ人の名前」なんです。

はまぐりくん
はまぐりくん

えええっ!「八重洲」ってめっちゃジャパニーズ感あるよね!
「八重桜」とか「豊洲」とか、そういう系じゃないの!?

「八重洲」の地名の由来となったのは、オランダ人の航海士で貿易家の「ヤン・ヨーステン」(Jan Joosten van Lodensteyn 1556?-1623)。
関ヶ原の戦いと同じ年の1600(慶長5)年、豊後国(現在の大分県)に漂着したオランダ商船「リーフデ号」(De Liefde・300トンの木造帆船)に乗って日本にやってきたオランダ人です。

おせんべさん
おせんべさん

リーフデ号は、日本に来た初めてのオランダ船。
オランダから日本への航海はすんごい過酷やったらしく、
100人以上乗って出発したのに、日本に着いた時の生存者は24人だけ…

このヤン・ヨーステンは、徳川家康に気に入られて旗本となり、江戸城近くに屋敷までもらって日本人と結婚。
ヤン・ヨーステンの日本名「耶揚子(やようす)」が転じてこのあたりを「八代洲」と呼ぶようになり、のちに「八重洲」とされたそうです。
八重洲の地名の由来は、徳川家康に重用された外国人武士だったんですね。
なお、このヤン・ヨーステンさん、東京駅八重洲口前の「ヤエチカ」(八重洲地下街)の広告などに、ちょくちょく登場します。

スポンサーリンク

「八重洲」地名の由来 ヤン・ヨーステンの記念像と記念碑など

八重洲の地名の由来となったヤン・ヨーステンの記念像・記念碑、ヤン・ヨーステンが乗ってきた船の像などが東京駅近くにあります。ちょっと巡ってみましょう。

ヤン・ヨーステン記念像 (八重洲地下街「ヤエチカ」)

東京駅八重洲口前の「ヤエチカ」(八重洲地下街)に「ヤン・ヨーステン記念像」があります。
ヤエチカの外堀地下1番通り沿い、「俺のイタリアン」と旭川ラーメン「游亀亭」の間の壁面ですよ。

こちらが、ヤン・ヨーステン像。
像の作者はヤン・ヨーステンと同じオランダ人のL.P.J.ブラート氏。

ヤン・ヨーステン記念碑 (日本橋三丁目交差点)

ヤエチカ(八重洲地下街)を東の端まで歩き、タリーズコーヒー横の階段(出口23・24)を上がると、そこは「日本橋三丁目」交差点。

この日本橋三丁目交差点西側の中央分離帯内・平和の鐘のすぐ横に、「ヤン・ヨーステン記念碑」があります。
羅針盤の輪が重なったイメージの記念碑で、左がヤン・ヨーステンさんの顔、右の船はヤン・ヨーステンたちが乗ってきた木造帆船「リーフデ号」(De Liefde)です。

ヤン・ヨーステンが乗ってきた「デ・リーフデ号像」(丸ビル前)

ヤン・ヨーステンたちが乗ってきた木造帆船「リーフデ号」(De Liefde)の像は、東京駅の丸の内口側(八重洲口と反対側)にも。
こちらが、丸の内にある「デ・リーフデ号像」。丸ビル(丸の内ビルディング)南側の駐輪場脇にあります。

はまぐりくん
はまぐりくん

この像は、1980(昭和55)年にオランダ政府から寄贈されたんだって。

ヤン・ヨーステンと一緒に来た「三浦按針屋敷跡」(日本橋室町)

今度は東京駅から少し離れて、日本橋・三越前にやってきました。
この三越前にも、ヤン・ヨーステンさん関連のスポットがあるんです。

日本橋三越の新館東側から「按針通り」を東へ100mほど進むと、史跡・三浦按針屋敷跡(石碑)があります。
三浦按針(みうらあんじん)さんも、ヤン・ヨーステンさんと一緒にリーフデ号で日本にやってきた人。
本名は、ウィリアム・アダムス(William Adams 1564-1620)。徳川家康に仕えたイギリス人(イングランド人)で、日本初の洋式帆船を建造するなど日本の造船技術向上に貢献・またアメリカのドラマ「SHOGUN 将軍」のモデルとしても知られる人物です。
三浦按針(ウィリアム・アダムス)さんもヤン・ヨーステンさんと同様に徳川家康に仕えて旗本となり、この地に屋敷を構えて住んでいたようです。

スポンサーリンク

「八重洲」地名の由来 ヤン・ヨーステン関連4スポットまとめ

設置場所アクセス
ヤン・ヨーステン記念像ヤエチカ(八重洲地下街)
外堀地下1番通り
JR東京駅・八重洲側すぐ
ヤン・ヨーステン記念碑日本橋三丁目交差点西側
(中央分離帯内)
ヤエチカ(八重洲地下街)
23or24出口から地上へ出てすぐ
デ・リーフデ号像丸ビル(丸の内ビルディング)
南側 駐輪場脇
JR東京駅(丸の内南口)から
徒歩約100m
史跡・三浦按針屋敷跡「按針通り」沿い
海苔店と宝石店の間
三越前駅(A2出口)から徒歩約150m
東京駅(日本橋口)から徒歩約900m

以上、八重洲の地名の由来となったオランダ人「ヤン・ヨーステン」関連スポットのご紹介でした。

最後までご覧いただき ありがとうございます。

*お出かけの際は ご自身で最新情報をお確かめください

タイトルとURLをコピーしました