2026(令和8)年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公で、豊臣秀吉の弟「豊臣秀長」。この豊臣秀長ゆかりの地として有名なのが、奈良県大和郡山市(やまとこおりやまし)です。
この記事では、奈良県大和郡山市にある、豊臣秀長が拡大・増築して居城とした郡山城(大和郡山城)や豊臣秀長の墓所など、豊臣秀長ゆかりの地を最寄り駅から徒歩で巡るモデルコース「大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコース」をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください。
大和郡山市の代表駅 近鉄郡山駅とJR郡山駅
奈良県大和郡山市の中心街に点在する豊臣秀長ゆかりの地を巡るには「近鉄郡山駅」(近鉄橿原線)または「JR郡山駅」(JR大和路線)から徒歩が便利です。
この記事では、大和郡山市街地の中心に位置し 郡山城に近い「近鉄郡山駅」から 豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコースをスタートします。
大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコース
近鉄郡山駅・東出口からスタート
近鉄橿原線の近鉄郡山駅(駅番号:B30)から 大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコース、スタート!
近鉄郡山駅には、特急以外の全ての電車が停車するので便利です。
近鉄郡山駅は、上り線側ホーム(2番線:大和西大寺・京都・奈良方面行き)の北端部に「西出口」、そして下り線側ホーム(1番線:天理・橿原神宮前方面行き)の北端部に「東出口」があります。東出口と西出口は駅改札内と駅前の踏切でつながっているので、どちらへ出ても大した差はありません。
徒歩約700m
春岳院・豊臣秀長の菩提寺
春岳院は、豊臣秀長の菩提寺。
元々は豊臣秀長の菩提寺は「大光院」だったのですが、その大光院は1599(慶長4)年に京都に移動。この移動の後に郡山での位牌と墓所(大納言塚)の管理を託されたのが春岳院です。
春岳院は 創建当時は「東光寺」という名前だったのですが、豊臣秀長の菩提寺となった後、彼の法名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」から「春岳院」と名付けられたそうです。
春岳院 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約700m |
見学・拝観 | 境内拝観自由(9時~16時) との情報がありますが、 上写真のように閉まっていることも。 |
備考 | 御本堂修繕クラウドファンディング実施中 |
なお、春岳院のすぐ東側に「浅井家住宅」があります。
この「洋館風」な浅井家住宅は、1873(明治6)年に廃城令によって廃城となった郡山城の部材で建てられた建物だそうですよ。
徒歩約700m
郡山城跡・豊臣秀長の居城
豊臣秀長が1585(天正13)年に居城とし、拡大・増築した郡山城。
天守は現存しませんが(再現天守も建てられていない)、天守台が展望施設となっており眺望を楽しめます。
自然石をそのまま積み上げる「野面積み」(のづらづみ)で造られた石垣に、「転用石」が多数使用されているのも郡山城の特徴のひとつ。場所が明示されている「さかさ地蔵」(お地蔵様を石垣の石材として使用している)以外にも簡単に「転用石らしき石材」が見つかります。
また本丸跡には郡山藩主だった柳澤家関連の古文書などを収蔵・展示する「柳沢文庫」や、ペット同伴可能なテラス席もある「番屋カフェ」も。
郡山城について詳しくは こちらの記事をご覧ください
郡山城跡 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約700m 近鉄郡山駅~郡山城跡 徒歩アクセスガイド記事あり |
見学 | 天守台展望施設利用時間 4~9月:7時~19時 10月~3月:7時~17時 |
公式情報URL | https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/ soshiki/chiikishinkoka/kanko/2/1630.html |
徒歩約400m
永慶寺・郡山城南御門を移築した山門
郡山城・柳澤神社鳥居から徒歩400mほどのところにある 黄檗宗龍華山 永慶寺。
この永慶寺の山門(郡山城指定文化財)は、豊臣秀長の時代に建てられた「郡山城南御門」を幕末に移築したもので、郡山城の建築物の中で唯一現存するものだそうです。
「郡山城南御門跡」は、永慶寺山門より北へ120mほどのところにあります。
永慶寺 山門 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約500m |
なお、郡山城跡から永慶寺までの道の東側に、「鷲池」があります。
池の中央に小島があり、お天気がよければその奥に笠置山地の山々が見えます。また池沿いには桜並木があります。
この「鷲池」の北西端付近に、現在永慶寺山門となっている「郡山城南御門」がありました。
徒歩約500m
大納言塚・豊臣秀長の墓所
1591(天正19)年に郡山城内で52歳の若さで亡くなった(病死)豊臣秀長はここに葬られ、豊臣秀吉が建てた大光院(だいこういん)というお寺がお墓の管理をしていました。しかし大和豊臣家の断絶後の1599(慶長4)年に大光院が京都に移転して、その後墓地は荒廃してしまいます。
それから180年近く経った江戸時代中期の1777(安永6)年に、豊臣秀長の位牌を託されていた春岳院(当時は「東光寺」)の僧侶だった栄隆(えいりゅう)・訓祥(くんしょう)が郡山町民たちの協力を得て五輪塔を建立し、周囲に土塀を造ったそうです。
豊臣秀長墓所「大納言塚」については こちらの記事をごらんください
大納言塚 (豊臣秀長墓所) | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約700m アクセスについても大納言塚の記事でご紹介しています |
見学・拝観 | 境内拝観自由 |
徒歩約1,000m
郡山八幡神社・豊臣秀長の築城により移転
郡山八幡神社は、郡山城築城以前の室町時代創建と言われる大和郡山の鎮守。
創建時は現在の郡山城跡にあったのですが、豊臣秀長による郡山城増築・拡大に伴って1594(文禄3)年に現在の場所に移転したそうです。
御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)・比売大神(ひめおおかみ)・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。
現在では「グラブ神社」として知られ、野球上達祈願やグラブ供養に訪れる方もいらっしゃるそうです。
郡山八幡神社 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約500m |
見学・拝観 | 境内拝観自由 (6時~18時) |
なお、郡山八幡神社の前には、ガソリンスタンド跡地で営業するコーヒースタンド・ショップ「K COFFEE」があります。「ゼネラル」の看板がそのままなのが、いいですね。
徒歩約400m
洞泉寺・豊臣秀長が現在地に移転
洞泉寺(とうせんじ)は、元々は「三河国挙毋(ころも)」(現在の愛知県豊田市)にあったお寺。
1581(天正9)年に「長安寺村」(現在の大和郡山市長安寺町)に移され、さらにその後1585(天正13)年に豊臣秀長が現在地に移転したそうです。
1585年っていったら、豊臣秀長が郡山城に入城した年だね。
ご本堂にはご本尊の「木造阿弥陀如来及両脇侍立像」(国の重要文化財・鎌倉時代中期頃の作と推定・快慶の作と伝わる)が安置されています。
洞泉寺 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約500m |
見学・拝観 | 境内拝観自由 (10時~16時) 本堂拝観は要予約(300円) |
徒歩すぐ (隣接)
源九郎稲荷神社・夢のお告げで豊臣秀長が祀る
洞泉寺の隣にあるのが、源九郎稲荷神社。
1585(天正13)年に、長安寺村(現在の大和郡山市長安寺町)の僧侶「宝誉」の夢に「源九郎」と名乗る翁(実は白狐)が出てきて「郡山城の南にお堂を建てて荼枳尼天(だきにてん≒お稲荷さん)を祀ればお城を守りますよ」と。この夢の話を宝誉が豊臣秀長に伝えたところ、秀長は郡山城内に源九郎稲荷明神を祀ったのだとか。
その後、1719(享保4)年に郡山城内から現在の位置に移されたそうです。
源九郎稲荷神社 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約500m |
見学・拝観 | 境内拝観自由 (10時~17時) |
徒歩約300m
外堀緑地・郡山城外堀跡の遊歩道
外堀緑地は、郡山城の外堀跡を利用して整備された緑地公園・遊歩道です。
源九郎稲荷神社東側(県道108号東側)の「外堀緑地・南門」から常念寺(西野垣内町)東側の「外堀緑地・北門」まで約600mほど続きます。
徒歩約300m
箱本館「紺屋」・豊臣秀長の箱本制度とは
豊臣秀長は、大和郡山城下町の商工業保護の政策として「箱本制度」を制定。この箱本制度は、税金を免除したり独占営業権を与えたりする代わりに防火や治安維持を行わせる自治制度で、制度スタート当初の13の町は「箱本十三町」と呼ばれています。
箱本館「紺屋」(はこもとかん「こんや」)は、この箱本十三町のひとつ「紺屋町」にある藍染商の町屋をリノベーションした観光施設。館内には藍染ショップや藍染体験工房(体験は予約制)・大和郡山で養殖が盛んな「金魚」関連の工芸品展示・カフェ(セルフ)などがあります。
箱本館「紺屋」前の道路のど真ん中に水路が通ってるのも印象的です。
この水路(紺屋川)の水は郡山城のお堀から流れており、昔は藍染に利用されていたそうですよ。
なお、この道路も普通にクルマが通りますのでご注意を。
箱本館「紺屋」 | |
---|---|
アクセス | 近鉄郡山駅から徒歩約500m |
開館時間 | 9時~17時 |
休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日) 年末年始 その他臨時休館することあり |
入館料 | 無料 (2020年7月から無料化された) |
公式情報URL | http://www.hakomoto.com/index.htm |
近鉄郡山駅まで徒歩約500m・JR郡山駅まで徒歩約600m
モデルコース終了! 近鉄郡山駅 (またはJR郡山駅)へ
これで、大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコースは おしまい。
箱本館「紺屋」から 西へ徒歩約500mで「近鉄郡山駅」に到着です。(箱本館「紺屋」から東へ向かうと徒歩約600mで「JR郡山駅」です)
大和郡山・豊臣秀長ゆかりの地巡り モデルコースマップ
大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコースの歩行距離
この記事の「大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地モデルコース」(上地図・近鉄郡山駅発着)を歩くと、徒歩距離は約5kmです。(各スポット内での歩行距離は除く)
郡山城跡が少し高台にあるのを除き、モデルコース全体がほぼ平坦で坂道はほとんどありません。
なお、歩車分離されていない細い道や見通しの悪い交差点が多く、そのわりに車の通行量が多いのでご注意ください。
【続編】豊臣秀長が祀られる豊国神社【大阪へ】
豊臣秀長ゆかりの地モデルコースの続編・番外編として、「大和郡山から豊国神社(大阪)」へのアクセスをこちらの記事で詳しくご紹介しています。
豊国神社は大阪城公園内(大阪城桜門前)にある、豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長を御祭神とする神社です。
奈良・大和郡山から 大阪・豊国神社へ「豊臣兄弟!」聖地巡りの旅!?はいかがでしょう。
以上、大和郡山観光・豊臣秀長ゆかりの地巡りモデルコースのご紹介でした!
最後までご覧いただき ありがとうございます
*お出かけの際は ご自身で最新情報をお確かめください