日本三古湯に数えられる歴史ある温泉、「関西の奥座敷」有馬温泉。何度も湯治に訪れるなど、豊臣秀吉のお気に入りの温泉だったことでも知られます。
この記事では、有馬温泉街にある 豊臣秀吉関連・豊臣秀吉ゆかりのスポットを巡ります。ぜひ最後までご覧ください。
豊臣秀吉も愛した有馬温泉
「日本三古湯」有馬温泉 発見のきっかけは三羽のカラス
有馬温泉は、道後温泉(愛媛県)・白浜温泉(和歌山県)とともに「日本三古湯」に数えられる歴史ある温泉。
大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が、湧き出る泉で脚の傷を癒している三羽のカラスを見つけたのが始まりだと言われ、有馬温泉街にあるパワースポット「湯泉神社(とうせんじんじゃ)」の拝殿にはこの神話にちなんだ三羽のカラスの彫刻があります。
奈良時代の724(神亀元)年には行基(668-749)が有馬温泉に温泉寺を建立、平安時代には清少納言(966?-1025?)が超有名な随筆「枕草子」の中で人気温泉地のひとつに「ありまの湯」を挙げています。また1176年には後白河天皇(1127-1192)が有馬温泉を訪れたそうです。
さすが「日本三古湯」。
有馬温泉の歴史には有名人の名前が出てくるね!
豊臣秀吉が9回も湯治に訪れた有馬温泉
そんな有馬温泉の歴史に関わる有名人のひとりが豊臣秀吉(1537-1598)。
豊臣秀吉は、1583(天正11)年に有馬温泉を訪れて以来9回も湯治に訪れた「有馬温泉好き」。「湯殿」を造らせたり、有馬温泉が地震等に被災したときは復旧に尽力・また洪水防止のため川の改良工事を行ったりもしたそうです。
そんな豊臣秀吉は有馬温泉「三恩人」のひとりとされ、有馬温泉は「秀吉推し」。有馬温泉には、太閤豊臣秀吉ゆかりのスポットや豊臣秀吉モチーフのものがたくさんあります。
また、2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公で豊臣秀吉の弟「豊臣秀長」も有馬温泉に湯治に訪れたようです。
【有馬温泉の「三恩人」とされる人物】
行基上人(奈良時代):724年に温泉寺を創設。衰退気味だった有馬温泉を復興。
仁西上人(平安時代):1097年に発生した大洪水により荒廃した有馬温泉を復興。
豊臣秀吉(安土桃山時代):慶長の大地震被災からの復興・川の改良工事を行い洪水予防 等。
有馬温泉駅すぐの交差点名が「太閤橋」
有馬温泉の玄関口、神戸電鉄・有馬温泉駅を出て南へ約40mのところにある「太閤橋」交差点。
さすが有馬温泉!いきなり交差点名で太閤さん豊臣秀吉を推してきます。
湯けむり広場・「ねね」を見つめる豊臣秀吉像
「太閤橋」交差点の南西角にあるのが、中央に湯けむりに見立てた人工の滝や定山渓温泉から贈られた「かっぱ像」がある「湯けむり広場」(詳しくはこちら)です。
この広場の隅に豊臣秀吉像があります。(神戸出身の彫刻家 新谷英子さんの作品)
この豊臣秀吉像は、有馬川の対岸の「ねね像」と見つめ合っています。
ねね(寧々・高台院 1549-1624)は、豊臣秀吉の正室ですよ。
秀吉さんと ねねさんは、
当時としては珍しい「恋愛結婚」だったんだよね!
後に天下取るけど、結婚当時は身分が低かった秀吉。
身分の差があるからってことで、
ねねさんのお母さんは 結婚にめっちゃ反対してんて。
豊臣秀吉さんの視線に合わせて写真を撮ると、こんな感じです。
ノボリがはためいて隠れてしまったのですが、下写真★印のところ(有馬川の向こう)にねねさんがいます。
有馬川親水広場には豊臣秀吉の「ひょうたん」が
豊臣秀吉像のある湯けむり広場の前、有馬川に架かる「太閤橋」。交差点名にもなっているこの橋の名は、もちろん豊臣秀吉にちなんで名付けられたもの。
太閤橋からは、有馬川親水広場がよく見えます。
豊臣秀吉は、川の流れを変える工事をするなど 有馬温泉の水害防止にも尽力したそうです。
有馬川親水広場の地面には、豊臣秀吉「馬印」である「ひょうたん」が。
なお、写真奥に小さく見えている赤い橋は「ねね橋」と呼ばれ、橋のたもとに「ねね像」があります。
豊臣秀吉の正室・有馬温泉にも一緒に来てた「ねね」の像
「太閤橋」から有馬川沿いを南へ進むと、「ねね橋」のたもとに「ねね像」があります。
上でも書きましたように、ねね(高台院)は豊臣秀吉の正室で、「北政所(きたのまんどころ)」としても知られる方です。「北政所」は特定の正室に与えられる「称号」ですが、ねねさんが北政所としてあまりにも有名で、今日では「北政所と言えば ねね」みたいになっているようです。
なお、ねねも豊臣秀吉と一緒にたびたび有馬温泉を訪れてたそうですよ。
善福寺・豊臣秀吉の側近「千利休」供養塔
「ねね像」から南へ約100m・阪急バス有馬案内所の向かいにあるのが、善福寺。
727年に行基が創建した曹洞宗のお寺で、「善福寺のイトザクラ」として「神戸市民の木」に指定されている立派なしだれ桜があります。
豊臣秀吉が「金湯山蘭若院阿弥陀堂」の和尚さんの猪のような頭の形を面白がった。秀吉からその和尚さんの頭の形に似せた「茶釜」の製作を命じられた「千利休」が釜師「天下一與次郎」に依頼して製作したとされる「阿弥陀堂釜」…。その「阿弥陀堂釜」が、ここ善福寺にあるそうです。(一般公開されていません)
阿弥陀堂釜は一般公開されていませんが、境内に「千利休供養塔」があります。千利休(1522-1591)は茶人でありながら豊臣秀吉の側近という顔も持つ人物。
豊臣秀吉は千利休たちと有馬温泉でも茶会を開いていたそうですよ。
太閤の泉 (有馬温泉 銀泉・太閤泉源)
善福寺前・阪急バス有馬案内所と若狭屋(おみやげ店)の間の路地(湯本坂)を50mほど上がると目の前に見えるのが、有馬温泉「金の湯」。有馬温泉温泉に2か所ある公共の外湯のひとつです。
この「金の湯」の外壁面にあるのが、太閤の泉(太閤泉源)。
有馬温泉に7つある泉源のひとつ「太閤泉源」が湧き出す場所で、かつては「ひょうたん」の蛇口から温泉が出る「飲泉場」となっていたのですが 現在は「飲用不可」です。(そもそも最近 温泉が出てるところを見かけない)
なお、太閤の泉(太閤泉源)は、金の湯の建物に併設されていますが「銀泉」の泉源です。(有馬温泉の「金泉」「銀泉」と泉源については写真下の「MEMO」をご覧ください)
有馬温泉では、茶色っぽい「金泉」(きんせん)と 無色透明の「銀泉」(ぎんせん)の2種類の温泉が楽しめる。
金泉と銀泉は、それぞれ湧き出す「泉源」が異なる。
・金泉が湧き出す泉源:天神泉源・有明泉源・御所泉源・極楽泉源・妬(うわなり)泉源
・銀泉が湧き出す泉源:太閤泉源・炭酸泉源
*「泉源」は温泉が湧き出す場所で、そこから温泉水が各旅館等へパイプで送られます。「泉源」の場所で直接お風呂に入れるわけではありません。
なお、有馬温泉の7つの泉源の場所と写真については「有馬温泉 日帰り観光モデルコース!徒歩(車なし)で外湯・観光スポット巡り徹底ガイド!」の記事でご紹介しています。
温泉寺(有馬山温泉禅寺)・豊臣秀吉が大茶会を開いた寺
金の湯の足湯横の路地を南へ入り、突き当りの階段を左に上がってまっすぐ進むと左手に見える(金の湯から徒歩約150m)のが、黄檗宗「温泉寺」(有馬山温泉禅寺)。
このお寺は元々は 奈良時代の724(神亀元)年に行基(668-749)が創設した真言宗のお寺で、ここの阿弥陀堂で1590(天正18)年に豊臣秀吉が大茶会を行ったそうです。
ただ、元々の真言宗温泉寺は 明治時代の「廃仏毀釈」運動により破壊されて廃寺に。その後 温泉寺の奥の院だった黄檗宗清涼院がお寺を継いで、現在の黄檗宗温泉寺(有馬山温泉禅寺)となったそうです。
なお、秀吉の大茶会が行われた「阿弥陀堂」も明治時代の破壊により失われており、現存しません。
ねがい坂
温泉寺前から銀の湯に至る坂道は、「ねがい坂」。
あとで出てくる極楽泉源「願いの湯」の前の坂なのでこう呼ばれているようです。
この坂を上り、温泉寺のお隣、写真奥に見える「極楽寺」境内の 神戸市立「太閤の湯殿館」へ向かいましょう。
「太閤の湯殿館」豊臣秀吉が造らせた湯山御殿の遺構展示館
温泉寺の東隣の「極楽寺」境内にあるのが、神戸市立「太閤の湯殿館」。(入浴施設ではなく「資料館」です)
1995(平成7)年1月17日に発生して大きな被害を出した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で極楽寺の庫裏も損壊し、再建にあたって文化財の調査を行ったところ、豊臣秀吉が造らせた湯殿「湯山御殿」と見られる遺構が発見されたそうです。昔から有馬温泉には「極楽寺に豊臣秀吉の湯殿があった」という言い伝えがあったそうで、これを裏付ける形となったんですね。
下写真の建物手前に見える庭園の地下約1mのところに、発掘された遺構が埋め戻されて現地保管されています。
上写真の左に見える展示館「太閤の湯殿館」には、秀吉が造らせた「湯山御殿」に関する資料や有馬温泉の歴史などについての展示があります。
庭園のある場所では埋め戻されていますが、展示館内では一部床が抜かれており「岩風呂」「蒸し風呂」の実物遺構を見ることができます。
神戸市立 太閤の湯殿館 | |
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住所 | 兵庫県神戸市北区有馬町1642 |
開館時間 | 9時00分~17時00分 (入館は16時30分まで) |
休館日 | 毎月 第2水曜日 臨時休館あり |
入館料金 (一部区分のみ表示) | 一般 200円 |
公式情報URL | https://arimaspa-kingin.jp/taiko-01.htm |
太閤の湯殿館は、お風呂の「遺構」等を展示する資料館。
残念ながら、ここでお風呂に入ることはできません。
秀吉の湯殿を再現した外湯とかできたら、
盛り上がると思うんだけどな~
極楽泉源「願いの湯」・豊臣秀吉が地面を突くと 温泉が!?
秀吉が造らせた「湯山御殿」に温泉(金泉)を供給していたとされるのが、こちらの「極楽泉源」。有馬温泉に7つある泉源のひとつで、極楽寺(湯山御殿跡・太閤の湯殿館)の裏手・すぐ東側にあります。
豊臣秀吉がこの辺りの地面を杖で突き「ここから温泉が湧いたら 外国まで統一できるだろう!」みたいなことを言うと、そのとおり温泉が湧き出したのだとか。そのエピソードから「願いの湯」とも呼ばれているそうです。
*「泉源」は温泉が湧き出す場所で、そこから温泉水が各旅館等へパイプで送られます。「泉源」の場所で直接お風呂に入れるわけではありません。
以上、「関西の奥座敷」有馬温泉、豊臣秀吉ゆかりの地・関連スポットのお話でした!
最後までご覧いただき ありがとうございます
*お出かけの際は ご自身で最新情報をお確かめください
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